抗日遺恨を越えて

   
          戦後70年、日中関係心の交流を

  抗日戦争勝利記念と軍事力をアピールする国に対していささかの疑念を持たざるをえない。
  わが国は戦後七十年、過去の侵略行為の痛切な反省と恒久平和の誓いを新たにしても、まだなお許さないというのか。その過ちを子孫が肩代わりせよと言うのか。報復までしようとしていないが、遺恨の執拗さを感じずにはいられない。過去の歴史を学ぼうとしないわけではないが、いつまでも遺恨を執拗に持ち続けられると、新しく未来に羽ばたこうとする純真さが失われていく気がしてならない。
  個人的に言えば、私の父親は満蒙開拓青少年義勇軍の中隊長として、戦時中は満洲の開拓は聖業として国策に従って暮らしていた。そのときは「侵略」などとは考えもしていなかった。排日運動があったことは伝え聞いていたが、これほどまで長く遺恨が続いているとは、認識不足であった。ある程度時が経てば、過去に拘らない、許してくれると思っていたのが浅はかだったのか。
 (いささか個人的な事ながら、私の父は若き戦後開拓団員を故国日本に帰還させてやれない責任から《自決》したという風評もある。一応戦後奉天で〈戦病死〉となっている)
  もっと未来志向で、これからいっしょにお互いに手を携えて前進しようとするときに「お前たちの親への恨みは忘れていないぞ」と言わぬばかりの態度はどうか。
  それに屈して自虐的な懺悔を繰り返さなければならないとするならば、それは卑屈であり主体性がない。
  多くの大陸に住む人々に対してご迷惑をかけたことで、いつまでも肩身の狭い思いをしていなければならないのか。それならば、足が遠のき、親善と共通理解、共同事業がうまくいくとは思えない。
  日中国交回復して数十年経つ。両国民の心の溝は埋まっているようで、根の深いところでしこりが残っていると感じる次第である。日本文化の根源が中国にあって、深く恩義でつながっている我々。もっと心を広く、寛容と忍耐で良好な国際的交流を深めたいものと念じている。