戦跡を遺す営み

     柞田の歴史探訪⑤
    柞田飛行場の遺跡
 今年は戦後七十年。柞田飛行場と呼んでいた観音寺海軍航空隊を偲ぶにもほとんど跡形がない。それでも、しいて探せばわずかにその痕跡は残っている。
 下出大池・出水の堤には滑走路に敷き詰めていたコンクリート破片が利用されている。中部中学横の軍川は飛行場の境を示すものである。下野橋詰中出に一里山遺跡があり、榎があり飛行場建設で伐採されたという案内標識が建っている。
母神山麓や元給食センター横には今なお当時の防空壕が残されている。出作南には飛行場跡地の開拓苦労話が記念碑に彫り込まれている。
さて、出作南も立退き移転になったことを『常磐誌』に書き残している。我が柞田には『柞田誌』も「柞田飛行場」の記録集もない。後学のためにもそれは戦後七十年を平和に生かしてもらった者が今しておかねばならない使命かと思う。
 
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