南海道は高速高松道寄り


 南海道讃岐国柞田を通過していたことは、確かであるが、官道がどこを通り、柞田駅家がどこにあったか、定説はない。観音寺市の地名研究会発行の『文化財協会報』では、次のような案を提示している。
 駅家は「十宮之御跡・施主秋山氏」の石碑のある八丁。伊予街道が中出を通り、山王日枝神社付近に柞田駅があったとするのに対して、高速道路寄りの八丁であると言うのが特徴である。その当時のものと思われる陶印「封印」も発掘されている。近くの水田畔の金刀坊之御跡顕彰碑、土井ノ内「小天王塚」古墳も関連があとみられる。
 上出の「公文明」、西部養護学校付近の「四至傍示」は関連が薄いと思われるが、今後の比較検討が必要である。
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