剣持日録抄(平成21、22年)

   雅澄日記(平成二十一年)
 一月十八日(日)晴
みとよ万葉講座今年初めて。百二十%の迫力で迫る。これまで過ごしたどの二時間よりも充実した二時間にするために。犬養節朗唱二十首、先日の高知での鹿持雅澄展、万葉植物とその歌ほか。受講生には目から鱗が落ちるほどの新知識紹介。これでしばらく自由になって好きなことが出来る。
 四月十三日(月)曇
田岡先生から大きな和紙にモクレンが描かれ「お元気ですか。先生はいつもアクティブ前傾姿勢、ふしぎなもので私も新学期になると力が湧きます。さあリセットしてGO!」すぐ「今日の誕生日の花と花言葉・歌句」に入れる。今日はモクレンの日だ。なんという偶然の一致。
 五月五日(火)
「無帽」五四八号の原稿「さとうきび畑」が書ける。沖縄南風原の松田さんにも送らねばならないので、二、三回書き改める。いつもは一度書いたら二度と目を通さない。自分にとっては思い入れ深い歌曲である。涙、涙、涙で書いた、涙で聴いた永遠の歌曲「さとうきび畑」。
 六月八日(月)曇
四葉のクローバ(土庄高校一年生からもらったもの)ブログに載せる。四六年の間本に挟まれて眠っていたもの。毎日一二〇人ほどの訪問者があるが、その中にこの四葉のクローバの贈り主がいてくれるだろうか。再びは返って来ない青春の日の小豆島。心はその日のまま色褪せない。
 七月三十一(日)晴
曽我部先生の車で高松市総合会館へ。香川県中学校教育研究会ワークショップ。先生方十五名出席。この研究会の講師を勤めて、面白く楽しい会になったと思う。俳句実作体験もよかったのではないかと思っている。皆に俳画色紙二枚、DVD、小冊子も封筒に入れて惜しげもなくあげた。
 九月三日(木)曇一時雨
今滝康子さんに礼状。森川義信資料は自分にとって最も貴重なものである。図書館帰りに夕立に遇う。立体交差の下で雨宿り。四冊の父に関する本、二冊レビューに入力。『星の王子さま』のレビューも。今日は八冊のレビュー。よくがんばった。浅薄な読みながらも多読して寸評。
 十一月五日(木)晴
懸案の「てくてく歩き」十時半に早苗塚前に十五人の参加者には大平先生、藤川先生、いずれも退職した中学国語教師もいてくれて心強い。生徳旅館では昭和天皇の召し上がり物、茶碗蒸しが出される。午後は一夜庵、総持院、門脇俊一画廊訪問。三豊ケーブル十五分ものが放映される予定。
 雅澄日記(平成二十二年)
 一月一日(金)曇
この日記帳もとうとう十年目、満期を迎える。十年一昔と言われるが、あっと言う間の十年。しかし、まだ一年ある。この年になると、一年一年が十年の値がある。賀状三百枚ほど来る。十枚ほどは返事が要る。誰彼も大きな変動はない。無事是好日。期待するものはほとんど0。
 二月二十日(土)曇
大野原古典文学講座、十年目終わる。二百時間もよくやったとつくづく感心する。万葉集四年、平家物語古事記、漢文選、古文選、それぞれ一年、郷土文学二年、計十年間。さて、五月から始まる来年度は郷土文学を続けるにしても、食らいつくほどの作品・作者は見当たらない。
  五月十日(水)曇
先輩文庫四冊入力。門脇照男先生の『しおり籠』『文学ひとり旅』誰が今後読むだろうか。自分さえろくろく読んでいない。永遠に読まれないで百周年記念館の片隅で眠り続けるのか。ただ人の為す業のはかなく、いとしいことよ。南一郎『雨読集』もまた。心ある人の先輩文庫をどうぞ。
 六月一日(火)晴
山田神社の奉納額、発句百句読み解くために頑張っているが、難渋。現物を自分の目で三回見て、写真にも撮っているのだが、不鮮明なのはいかんともなしがたい。ためつすがめつ、解読辞典を繙いても読み切れない。暗号を読み取るより難しい。識者に頼みたくなく、命が縮む。
 九月二十八日(火)晴
母を葬って四十三年、月日は夢のごとく、あの日曼珠沙華が野道を彩り「涅槃院釋信證大姉」なる人を野末に埋めた。土葬の最後の頃だった。母の姉たつ叔母も泣いてくれた。親友小田梅乃先生も参じてくれた。その人たちも今はない。六十三歳で逝った母より僕は十年も長生きしている。
 十月十九日(火)晴
保健所生活改善行事の一つ「町あるき」十時~十三時、講師として参加。参加二十人。この中には大久保潔君や秋山美佐子さんが居て、懐かしかった。皆に万葉歌絵色紙一枚献呈。また、自作句短冊に書いてあげる。皆さん大変喜んでくれて、今日は特に生き甲斐を感じた一日だった。
 十二月十六日(木)曇一時雨
准看今年最後の授業。「今年一年を振り返って」十五人に作文二枚書かせる。「先生と出会い、人は皆平等に自分の天職を持ち、それを生き甲斐に励み、頑張っていることを学びました。先生の楽しそうに授業している姿はとても生き生きされていて、私たちの励みになっています」(中北恵)
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