万葉集「託馬野に…」の歌碑が詫間に建てていいか?

    「託馬野」歌碑が詫間近隣公園に建っているが…
 
    託馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出でにけり(万葉集巻3-395)
 女郎が大伴家持に贈った相聞歌である。
 香川県三豊市詫間町近隣公園にこの歌碑が建てられている。この歌の託馬野の「託馬」を「詫間」とみなす歌人故香川進説によるものである。傍らの説明文を書いた副碑には次のように刻まれている。
「歌の意味は、託馬野に生えている紫草を衣に染めてまだ着ないでいるのに人目に立ってしまった。歌にある託馬とはどこだろう。これをツクマと読んで近江の筑摩とする説は古いが、託馬をツクマと読む古例はなく、託馬は当然タクマである。素直に今の詫間とすべきである」
 粟島では朝廷に献じる馬を飼っていたとも言われるが、紫草がこの地の名産であったというなんの証もない。四国の片田舎が朝廷に注目されるほどのものはなかったと思われる。1300年も前のことは何もわからないと言えばそれまでだが、直観的にこの歌の舞台装置をこの地に特定することはできない。ごく少数の好事家は別である。新説として、あるいは仮説として提示するのは自由であるが、それまでである。
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