柞田飛行場誌

 
   来年は戦後七十年
 
 柞田に飛行場があったことを
知らない人が多くなっている。
出在家(上出・中出・下出)の立
ち退き移転の苦労を語る人も
少なくなっている。当時の塗炭
の苦しみを語るものがほしいと
ころである。
 先年、三豊市で作られたよう
観音寺市にも作れないものか。
 平成五年『上出のいまむかし』
のような記録集が中出・下出に
おいてもまとめてほしい。
 来年は戦後七十年の節目にな
るので、今から用意したい。
『柞田誌』は明治期に手書きの
ものがあるだけで、それ以降活
字本もない。わずかに柞田小学
校百周年記念誌があるだけ。
 常盤は出作に記念碑が建っ
ていて、当時を偲ぶことができ
る。柞田には記念碑がないが、
軍川・大池堤などの戦時中の
遺跡・遺物はある。
 中部中学校添いの軍川は飛
行場の境界を示すもの。
下出の大池の堤には、飛行場
滑走路のコンクリートの破片が
利用されている。
 コトバで伝えなくとも、モノがあ
ばいいとも言えるが、貴重な戦
争体験回想集をまとめたいもの
である。
 
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