紅梅の艶麗さの奥に

 
  源氏物語 紅梅の巻
 第43帖の第2帖。頭中将の子孫とその縁者の後日談を書く。
  紅梅大納言とも呼ばれる。頭中将の次男で柏木の同母弟。
 
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   紅梅や見ぬ恋作る玉すだれ     松尾芭蕉
  元禄二年、桐葉宛書簡の最後に添えられている。王朝的世界を仮想した虚構の一句。紅梅の色香から玉すだれの向こうに恋する人を夢想する芭蕉。46歳で奥の細道の旅に出た年にかくも艶麗な句を作った。
 句意としては、こうだ。とある家の簾の下りた部屋の前庭に、紅い梅の花が咲き匂っている。その美しさはすだれの奥の女性の姿を彷彿とさせ、いまだ見ぬその人への恋心がつのってくる……。と、さながら恋に恋する少年のような心持ちを詠んでいるのだが、このときの芭蕉は既に四十六歳。もっとも「反古の中から出てきた句」だとわざわざ添え書きしてあるから、本当にずっと若いときの句かもしれないし、あるいは照れ隠しなのかもしれない。キーワードは「玉すだれ」で、簾の美称である。実用的にはいまどきの上等なカーテンであるが、心理的には恋の遮蔽物だったことを知らないと、この句はわからない。古くから、和歌では恋しい人を隔てるものとして詠みつがれてきている。間違っても、芸人の使う「ナンキン玉すだれ」ではありませんよ(笑)。なお、紅梅を詠んだ芭蕉の句はこの一句だけ。芭蕉にしてはあまり出来のよくない作だとは思うけれど、その意味で珍重されてきているようだ。なお、季語は「紅梅」。対して「白梅」という季語はない。「白梅」が「梅」一般という季語に吸収され「紅梅」が独立したのは、その艶やかさもさることながら、「紅梅」のいささかの遅咲きに着目した古人の繊細な時間感覚からなのだろう。 (清水哲男)引用
 
    紅梅に座を譲ること白遅れ      能村登四郎
    紅梅や今日の出会いは語らない   剣持雅舟