一茶・芭蕉の句碑
芭蕉が「奥の細道」の途次造った発句にこの一句があることは、広く知られていることでしょう。この直筆短冊を所持していた小西帯河(江戸時代、安永4年)が句碑に建立しました。俳諧の祖山崎宗鑑終焉の地(観音寺市)です。一茶の師竹阿の指導によるものですが、四国の片田舎に、こともあろうに俳聖芭蕉の句碑があるのです。傍には笠を形どった大きな丸い石も据えられて、芭蕉を供養・追慕する芭蕉塚(記念碑)にもなっていて、地元では大切に保存しています。
早苗とる手もとやむかししのぶ摺 はせを
天保10年に再修された碑の方でなければ、句は読めませんが、土台「早苗塚」「…はせを」はちゃんと残っています。碑前の「はせを聖域」を囲む玉垣には、30人の30句が献句として刻まれているのも、意義深い文化財です。天保11年(1840年)のものですから、170年も閲し、かなり摩滅していて、判読は至難ですが、解読に心がけています。ここを聖域(俳聖追慕の聖域)とみており、清掃にも心がけています。いつかお越しになって、ぜひご覧下さい。
早苗とる手もとやむかししのぶ摺 はせを
天保10年に再修された碑の方でなければ、句は読めませんが、土台「早苗塚」「…はせを」はちゃんと残っています。碑前の「はせを聖域」を囲む玉垣には、30人の30句が献句として刻まれているのも、意義深い文化財です。天保11年(1840年)のものですから、170年も閲し、かなり摩滅していて、判読は至難ですが、解読に心がけています。ここを聖域(俳聖追慕の聖域)とみており、清掃にも心がけています。いつかお越しになって、ぜひご覧下さい。