瀬戸芸「粟島」を詠んだ万葉歌碑

 
    
 
  武庫の浦 榜ぎ廻る小舟 粟島を
             そがひに見つつ ともしき小舟   山部赤人(巻3ー358)
 
   粟島にこぎ渡らむと思へども
             明石の門波いまだ騒けり    詠み人知らず(巻7ー1207)
 
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 香川県三豊市詫間町の「粟島」で詠まれた万葉歌ではないのに
歌碑を建てて人を惑わしているのは、いかがなものでしょうか。
 
「粟島」という名の詠みこまれた歌は集中6首ある。
そのうち二回は下に「の」が付き、「逢は」にかかる枕詞となっている。
①武庫の浦をこぎみる小舟粟島をそがひに見つつともしき小舟(巻3ー358)
②・・・直向ふ淡路を過ぎ粟島を背に見つつ・・・(巻4ー509)
③粟島にこぎ渡らむと思へども明石の門波いまださわけり(巻7ー1207)
④浪の間ゆ雲居に見ゆる粟島の逢はぬものから吾に寄する子ら(巻12ー3167)
⑤何時しかも見むと思ひし安波島を外にや恋ひむ行くよしを無み(巻15ー3631)
 ⑥安波島の逢はじと思ふ妹にあれや安寝もねずて吾が恋ひ渡る(巻15ー3633)

 まず①の歌は山部宿弥赤人歌6首の2首目で、兵庫県武庫川から見てうしろに見える島ということになると「阿波の島」と考えられる。四国の阿波(徳島)方面の島である。『仙覚抄』には「讃岐国屋島北去百歩許有島、名日阿波島ト云ヘリ。此島ヲヨメル歟」とある。

『考』には「阿波国をあはしまと云しならん」とある。前者は当時あったのかもしれないが今はなく、信じ難い。後者を採りたい。

 次に②の歌句は丹比真人笠麻呂下筑紫国時作歌(長歌)の中に出てくる。ここでも粟島は四国の阿波の辺りと考えて当たるだろう。

 ③の歌は覊旅90首の中の1首。ここでも阿波の島だろうが、淡路島と見られないことはない。

 ④の歌は覊旅発思の題の付いた53首の中の一首である。「粟島の」は「逢は」に係る枕詞である。
あるいはここまでを序詞とも解することができよう。言いたいことは下の句で、「まだ逢わないものなのに世間の人が私と関係があるように言い寄せる子よ」というのである。
 ⑤の歌は周防国玖河郡麻里布浦行之時作歌8首の中の1首。ここでは阿波の島と見る必然性がなく、表記も「安波島」であり、これまでの粟島とはちょっと違う。所在不明と言っておく方が無難であろう。周防山口県大島郡東和町正巌寺で毎年四月「粟島さん」と言って祭が行われているとのことである。
⑥の「安波島の」は「逢は」に係る枕詞で修飾語にすぎない。
さて、この同音詫間町粟島であるが、この島ではなかろう。『仙覚抄』で言う「讃岐国屋島北」にはなく、はるか西方三豊郡の北の海に浮かぶ島である。