金運の(乗り掛かる)まち

本日の朝日新聞香川版               
 せっかくヘリから撮るのだったら、ちゃんと天気と時刻を見て、もっと陰影の付いた写真にしてほしかった↓ 「寛永通宝」の砂文字が全く分からないのでナンセンス。                 
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
 
イメージ 1
写真を写すのなら晴れた日の夕方に限る。    
  
寛永通宝」の銭形は、観音寺市琴弾山の頂上から見ることを意図して作られたものである。眼下の松原の中の砂に掘った砂絵として、広く知られ観光客が必ず来て見る、観音寺のシンボルとなっている。この頂上から眺めた七言絶句の漢詩の詩碑が建てられている。作者は和歌山県出身漢詩人故高橋藍川(漢詩の結社黒潮吟社主宰)1982年地元の門弟たちの尽力で眺望のいい象ケ鼻傍らに建立されている。
 
 白帆如鷺入滄溟 (白帆鷺の如くに滄溟に入る)白帆は白鷺のようで蒼い海に入る
 水愈碧ゝ松愈青 (水いよいよ碧に松いよいよ青し)水は益々青く松も益々青く     
 通寶千年無客拾 (通寶千年客拾うなく) 砂字「寛永通宝」は客に拾われることなく砂浜歴々見銭型 (砂浜歴々銭型を見る) 砂浜にくっきりと銭型を眺め渡せる。
 
 江戸時代、丸亀藩の領主生駒高俊公が巡視の際、もてなしのために作られたとも、成立については諸説あるが、定説はない。この漢詩の転句「通宝千年客拾うなく」がまことに意味深長で含蓄がある。ともすると金銭に目のくらむ人に対して何か訴えているようにも、受け取れる。「この銭形を見た人はお金に不自由しない」これに目がくらむのも人情の常というものか。                           
★★★★★★★★この度は客の拾ひし億萬円★★★★★★★★