無題(十三)

 「夕ぐれの時はよい時」の詩を思い出すことがある。今から半世紀も前、小豆島の高校で教新任教師として教えていた。現代国語の教科書に出ていたものである。定時制の家庭科四年生。四歳の違いしかなく、兄妹の年齢差だったので、親近感があった。どの子にも慕われたし、こちらも可愛くてしようがなかった。今は70歳を過ぎたおばあちゃんになっている。その彼女たちに贈る。
       夕ぐれの時はよい時。
       かぎりなくやさしいひと時。
       それは季節にかかはらぬ、
       冬なれば暖炉のかたはら、
       夏なれば大樹の木かげ、
       それはいつも神秘に満ち、
       それはいつも人の心を誘ふ、
       それは人の心が、
       ときに、しばしば、
       静寂を愛することを、
       知つてゐるもののやうに、
       小声にささやき、小声にかたる・・・・・・
       夕ぐれの時はよい時。
       かぎりなくやさしいひと時。
       若さににほふ人々の為めには、
       それは愛撫に満ちたひと時、
       それはやさしさに溢れたひと時、
       それは希望でいつぱいなひと時、
       また青春の夢とほく
       失ひはてた人々の為めには、
       それはやさしい思ひ出のひと時、
       それは過ぎ去つた夢の酩酊、
       それは今日の心には痛いけれど
       しかも全く忘れかねた
       その上の日のなつかしい移り香。
       夕ぐれの時はよい時。
       かぎりなくやさしいひと時。
       夕ぐれのこの憂鬱は何所から来るのだらうか?
       だれもそれを知らぬ!
       (おお! だれが何を知つてゐるものか?)
       それは夜とともに密度を増し、
       人をより強き夢幻へみちびく・・・・・・
       夕ぐれの時はよい時。
       かぎりなくやさしいひと時。
       夕ぐれ時、
       自然は人に安息をすすめるやうだ。
       風は落ち、
       ものの響は絶え、
       人は花の呼吸をきき得るやうな気がする、
       今まで風にゆられてゐた草の葉も
       たちまち静まりかへり、
       小鳥は翼の間に頭をうづめる・・・・・・
       夕ぐれの時はよい時。
       かぎりなくやさしいひと時。
 
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