宗鑑・芭蕉 夢幻能

 
 俳祖宗鑑、俳聖芭蕉、早苗塚にて出会う複式夢幻能
 
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芭蕉、一夜庵に泊まり、宗鑑の亡霊に会う。
複式夢幻能  謡曲「鑑蕉問答」(創作)
 亡霊と対話する蕉翁、先師の老獪さにたじたじ。蕉門で先師とは芭蕉のことだが、この舞台では宗鑑が先師である。その老獪さは芭蕉のたじたじするところである。五十歳の芭蕉は、八十歳の宗鑑に対峙すれば、風貌においても親子ほどの差異がある。何より俳諧における老獪さはこの先師にとてもかなわない。(この項、端緒にも付いていない)
シテ 芭蕉 諸国修行の俳諧師にて候
ワキ 宗鑑 この地にて没せし連歌師なり 今日は遥々よくぞ参られたり、忝く候。
  謡曲芭蕉」(古典作品、禅竹作?)  
前ジテ 里の女(化身)
後ジテ 芭蕉の精
ワ キ 僧
   …後シテは芭蕉の【精】で、男体ではあるが、面は前シテと同じく増女のまま…
  月の冴えた秋の半ばの深夜 世の無常を語らせる夢幻能。僧との問答でしみ   じみと 〈急〉
シテ「庭のもせ山陰のみぞ。
ワキ「寝られねば枕ともなき松が根の。現れ出づる姿を見れば。ありつる女人の顔ばせなり。さもあれ御身はいかなる人ぞ。
シテ詞「いや人とは恥かしや。誠は我は非情の精。芭蕉の女と現れたり。
ワキ「そもや芭蕉の女ぞとは。何の縁にかかかる女体の。身をば受けさせ給ふらん。
シテ詞「その御不審は御あやまり。何か定は荒金の。
ワキ「土も草木も天より下る。
シテ「雨露の恵を受けながら。
ワキ「我とは知らぬ有情非情も。
シテ「おのづからなる姿となりて。
ワキ「さも愚かなる。
シテ「女とて。
地歌「さなきだに。あだなるに芭蕉の。女の衣は薄色の。花染ならぬに袖の。ほころびも恥かしや…花も千草も散りぢりに。花も千草も散りぢりになれば、芭蕉は破れて残りけり。
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  百骸九竅の中に物あり。かりに名付て風羅坊と言ふ。誠にうすものゝ風に破れやすからんことの謂なり。
 風羅衣とは、桃青の着ていた衣なり。師の没後、伊賀朱麓が所持、更に加賀高桑闌更(半化坊)が伝受。(東山双林寺に芭蕉堂建立) 又更に讃岐仁保白羽(秋花亭)の手に渡る。翁百年祭にあたり檀那寺に埋納。
 芭蕉布。それは桃青芭蕉の風羅衣。それは潰え易き命の儚さに似て風にそよぐ。
 
 地謡 都も遠き讃岐野は、大地震(おおなえ)の起こりし福島とも異なり、災い少な      き瀬戸内の波穏やかな島の里、島の里。 
  ツレ(早苗) 讃岐娘の早苗とは、世に聞こえたる俳諧芭蕉の精の化身なり。
 シテ(芭蕉) 早苗とる手もとや昔しのぶ摺り
 地謡 しのぶ文字摺り誰ゆえにと、女性(にょしょう)の姿重なりて
 シテ 旅の疲れも消えてゆく、我が心根に八幡宮の琴弾く遠音うち添いて
     晴れの舞台は整いぬ。     
 ワキ(宗鑑) さてここに参じ候は、一夜庵に住みその昔俳祖と言われし者なりと
 地謡 かきつばた咲く前栽に出て、賓客を迎えんと歩み出る。
 シテ 有難き姿拝まんと崇めたる、こは宗鑑なるかや、鑑師なるかや。
 ワキ いかにも 宗鑑はどちへと人の問うあらば ちと用ありてあの世へと
     言うように頼うだ本人ぞや。
 シテ さてもさても 逝きて二百余年、ちと用が終わってここに舞い戻ったかや、
     奇遇なる出遭いかな。いかないかな。 
 ワキ もっともでござる。幸いなるかな。蕉翁殿、いや年端も若き五十そこそこ。
 シテ 我の来讃には、三つのもくろみがあった。一つには西行が跡を訪ねること。     一つには汝が一夜庵に泊まること。一つには母が生まれし宇和島の地に
     行ってみること。
 ワキ されば我が一夜庵に今宵は泊まれ。無住の草庵だによって、気兼ねなく。
     上は立ち 中は日暮し 下は夜まで 一夜泊りは 下々の下の客
     とは言うまい。
 シテ 有り難きしあわせ。この法縁が終われば泊めてもらおう。願ってもないしあ      わせ。今宵心ゆくまで語り明かさん。まずは、前段のこの法莚を無事終えよ     うではないか。
 ワキ 尤もでござる。善男善女の集う早苗まつりの今日、この時を楽しまん。
 ツレ 早苗とる手もとや昔しのぶ摺り しのぶ摺り。その軒忍ぶ忍草、シノブグサ
     …早苗とる手つきと同じ やわらかく もみもみしては 手ぎわよく、 
 地謡 また あざやかに もみもんで、心の底までもまれゆく、心の襞までとけてゆ     く ここ琴弾の宮の苑。この世の至福の境ぞと、思う今宵の嬉しけれ。集う      今宵の嬉しけれ。