南海道の柞田駅

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 讃岐の駅については、十世紀前半の『延喜式』で「引田・松本・三谿・河内・甕井・柞田各四疋」と記されており、これら六駅が八世紀初め頃にはすでに設置されていたものと考えられている。厳密な発掘調査が行われていないため、位置や施設の内容が把握できている駅は皆無である。文献・古地名・周辺遺跡や地理的環境から幾つかの候補地はあげられている。
 三豊平野唯一の柞田駅について、刈田郡柞田郷、我らが郷土柞田町山王の日枝神社辺りが考えられている。江戸時代の伊予街道(旧国道)の百メートル東であるが、南海道は更に三百メートル東を通っていたという説もある。南海道全体の専門的研究をされている佐賀大学教授,日野尚志氏の説である。ただし、これも推定の域を出ない。
 日枝神社の案内標識に示されている、この位置が絶対正しいとは言えない。断定するには、今後の遺跡発掘調査と考古学的研究を待たねばならない。地名伝承だけで決めてしまうのは早計である。
 以上のように、香川県内の古代南海道、その駅舎の位置は(柞田駅も例外ではなく)、ここであると特定できていないのが現状である。
 
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