『堕落論』と『堕落』論

 
評論『堕落論』(昭和21年刊)は坂口安吾、小説『堕落』(昭和44年刊)は高橋和巳、それを論じるのは、後輩不肖私の両者比較論である。
 前著の一般的概説は以下の通り。
「日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ」と説く作者の世俗におもねない苦行者の精神に燃える新しい声を聞くであろう。(檀 一雄/磯田光一) 単に、人生を描くためなら、地球に表紙をかぶせるのが一番正しい―誰もが無頼派と呼んで怪しまぬ安吾は、誰よりも冷徹に時代をねめつけ、誰よりも自由に歴史を嗤い、そして誰よりも言葉について文学について疑い続けた作家だった。
 後著の一般的概説は以下の通り。
 〈満州〉国建設に青春を賭けた主人公青木隆造。敗戦後、福祉事業団兼愛園の園長となり混血児の世話をしている。その業績が表彰された時、彼は崩壊した。仮面に封じ込めた自己の内部に蟠る「見極めがたい曠野のイメージ」と「喪った時間の痛み」とが「隠微な軋み音」を響かせ解かれてゆく。1960年代を代表する作家高橋和巳晩年の傑作。
 無頼派破滅型坂口安吾は「正しく堕ちる道を堕ちきることが必要」と開き直るイロニーが戦後の歪んだ世に生きる若者の共感同調者異常にを得た。
 戦後20年の模索を経て、新たなる国家のあり方が示されるかどうかの分岐点にあって戦後の総決算が示されねばならない段階のあった。全学連の大学改革の渦中にあって苦渋を嘗めたが、社会問題にも真摯に向かい合った高橋和巳
 善良なる知識人の良心の痛みを曝し、変わらない人間の無責任な暗部を見逃さなかった。虚妄満洲の「曠野のイメージ」を神戸の「混血児」「福祉事業」の偽善を重ねる。
暗喩(メタファー)としての満洲をそこに見て取る。「仮面」として「崩壊」する神戸。「表彰」などもってのほかである。かつて昭和初期の日本が描いた虚妄の妄念が冷めやらぬ愚劣を突きつける。 虚妄の正義に甘んじる日本国家への反省を迫る現代テーマに通じる作品である。