讃岐文芸紙碑

 キーワード【紙碑】 …三省堂大辞林』 によれば

【紙碑】 世に知られていない物事や、世に埋もれた人の生涯業績などを書いた文章。

例1 【日本現代紙碑文学館】 岐阜県海津市海津図書館内に文学同人誌を収集する施設として、1976年(昭和51年)4月に設立された。当時の建物は海津市が旧庁舎を全面的に改装して提供し、現在は図書館の一郭の施設である。 海津町出身の作家長谷川敬の尽力と、文芸評論家小松伸六の蔵書1万5千冊の寄贈を基礎となり2008年現在の蔵書冊数は約3万5千冊を超え、全国的文学同人や文藝春秋からの寄贈により増加を続けている。

例2 『詩人の紙碑』 朝日選書  長田弘
昭和とよばれた時代、この国に、このように生きた詩人たちがいた。今読み直す遺された言葉。 小熊秀雄伊東静雄鮎川信夫など戦前から戦後に生きた詩人たちの作品を読み返す。戦争がもたらした「詩」の挫かれた時代、戦後の「詩」の回復など、精神の変容のあり方を探る。

例3 【紙の碑~被爆老人たちの手記~】        初回放送日:1992年8月6日 放送時間:44分 広島市にある原爆養護老人ホーム舟入むつみ園」には、250人の被爆老人たちが余生を送っている。彼らは折をみては被爆体験を「紙碑」として手記にまとめ、自らの遺言を後世に残そうとしてきた。番組では、「紙碑」を書き進める被爆者の心の内面を描き、今なお、彼らの中に暗い影を落とす原爆とは何かを問う。

 研究テーマ 「讃岐文芸紙碑」      *以下、逐次記載・加筆予定
   はじめに
1 語句の定義
*讃岐=香川県旧国名。語源は不明(狭貫・竿調・真麦)。古事記万葉集に初見。      古典的名辞。伝統・典拠のある香川。
*文芸=(創作・芸術的)文学。ジャンルを問わない。文芸学=文学の体系的研究
*紙碑=(碑のようには)世に知られていない人の文章。一般の国語辞典にはない。
        紙の碑(石文)で、自己矛盾するが、世に埋没されてはならない貴重なもの。
    掘り出し物。 心の記憶をせめて紙の上に残したもの。
【讃岐文芸紙碑】=「香川文学碑」(現存句碑・歌碑・詩碑・詞碑等約600基)とは対極
            をなす「観念的に想定される郷土の抽象的文芸像」を言う。
 
2 方針 個々の作者・作品を選び、コンパクトに 起承転結(四段構成)にまとめる。
    ①筆名(本名)  ②(文学的)略歴  ③作品の一部 ④評価(墓碑銘は最大級の    讃辞。そうではなく、客観的な評価を求めたい)
 
  〔個々の作家紹介〕
[1]①森川義信
観音寺市粟井町本庄出身。早稲田大学中退。ビルマミートキーナにて戦病死。親友鮎川信夫らと詩誌「荒地」創刊、鮎川の代表作で森川を詠んだ「死んだ男」は高校の教科書に採られた。死後鮎川信夫によって『森川義信詩集』が出版された。 大正7年昭和17年
③詩「勾配」非望のきはみ/非望のいのち/はげしく一つのものに向かつて/誰がこの階段をおりていつたか/時空をこえて屹立する地平をのぞんで/そこに立てば/かきむしるやうに悲風はつんざき/季節はすでに終りであつた/たかだかと欲望の精神に/はたして時は/噴水や花を象眼し/光彩の地平をもちあげたか/清純なものばかりを打ちくだいて/なにゆえにここまで来たのか/だがみよ/きびしく勾配に根をささへ/ふとした流れの凹みから雑草のかげから/いくつもの道ははじまつてゐるのだ
香川県を代表する詩人。現代詩における生命頌歌の再発掘(衣更着信)
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[2] ①島 比呂志(岸上薫)
 ②観音寺市柞田町出身。東京農高助教授。ハンセン病に罹り大島青松園を経て、鹿児島療養所で作家活動。「火山地帯」主宰。代表作品「海の沙」「奇妙な国」「さぬき物語、銀の鈴」(こどもの國文庫)らい予防法廃止、国家訴訟勝訴に関わる。生きて故郷の土を踏むことがなかった。 ~平成15年
③社会に癩を忌み嫌う思想(偏見)がある限り、ぼくは弟妹や親族のために、身を隠す以外に方法がなかった。君がぼくの家へ来られた時誰が応接したか知らないが、おそらくそっけないものであったろうと思う。どうぞその時の無礼を許してもらいたい」(清野に生存を伝えた手紙、昭和43年9月29日)
④ ハンセン病作家として位置づけられている。
 「戦後短編小説再発見10 表現の冒険』講談社文芸文庫に掲載
 
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[3]①滝口春男
三豊市三野町大見出身。香川師範(石森延雄先生の感化を受ける)卒業後小学校教師。昭和8年思想犯(治安維持法違反)の容疑で検挙。福岡行雄は最初で最後の教え子。教師を辞め、文学活動に入る。「火山地帯」同人。児童文芸誌「こどもの國」創刊。文芸同人誌「四国文学」「四国詩人」創刊、主宰。短編「青い唐辛子」「藪柑子」 福岡行雄著『滝口春男 人と作品』に関連して「師弟の紙碑」(門脇照男執筆)がある。
明治43年~昭和43年(享年59歳)
③詩「ハギリを噛む」ありがたくもない××(国体)を/俺たちの世界を築こうとする子供たちに/頭から押し売るようなことは出来ないんだ 
④戦後香川文学の旗手的存在  
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 [4]①塔和子
愛媛県出身。1941年ハンセン病を発病。1943年大島青松園に入所。1957年ころから詩作を始め、1961年に初の詩集『はだかの木』を出版。1963年同人誌編集担当となる。1964年キリスト教の洗礼を受ける。第15詩集『記憶の川で』高見賞を受ける。1989年ドキュメンタリー作品『不明の花 塔和子の世界』(毎日放送)放映。2003年、ドキュメンタリー映画『風の舞』(宮崎信恵監督)公開。(塔和子の詩をモチーフにハンセン病隔離の歴史と今を検証した映画)『塔和子全集』を含め、2008年までに26編の著書がある。
③20番目の詩集より 「糸」生から死へ一本の白い糸があって/日々たぐっているが/ほんとうは誰も/いまだその糸を見た人はいない/たぐり終わったとき/いのちも終わるからだ/私の糸はあと何年あるいは何日残っているか/糸のとぎれたところは冥界で/神様のさいはいするところだから/きっと/美しい花が咲き乱れ/清らかな音楽がしっとりと流れているだろう/しかしそう思っても/やっぱり雑事に追われるこの世に/愛着があって/糸のことは忘れている/そして/病気になるとふっと思い出し/いま自分のにぎっているのは/どのくらいのところだろうと/改めてその命の糸を/ひっばってみたりする
 「胸の泉に」より かかわらなければ/この愛しさを知るすべはなかった/この親しさは湧かなかったこの大らかな依存の安らいは得られなかった/この甘い思いや/さびしい思いも知らなかった/人ははかかわることからさまざまな思いを知る/子は親とかかわり/親は子とかかわることによって/恋も友情も/かかわることから始まって/かかわったが故に起こる/幸や不幸を/積み重ねて大きくなり/くり返すことで磨かれ/そして人は/人の間で思いを削り思いをふくらませ/生を綴る/ああ/何億の人がいようとも/かかわらなければ路傍の人/私の胸の泉に/枯れ葉いちまいも/落としてはくれない
④ 自己の存在を根源的に見つめながら、一貫して人間の尊厳を問い、一生懸命に生きようとする魂の叫びがある。
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 [5]①河田誠一
三豊市仁尾町出身。早稲田文科時代に、田村泰次郎井上友一郎、坂口安吾らと交わり「東京派」「今日の文学」などに詩、小説、評論を発表。『河田誠一詩集』(昭和15年) 明治44年昭和9年(享年24歳)
③詩「春」タンサンの泡だつだらう海峡の空は/つめたく暮れた/なまあたたかいかぜの記憶は/かすんだ雨のなく音/ボロボロの鳥/わたしの抱いてねたあなたの肉体は春であつた
④夭折詩人として『河田誠一詩集』草野心平装丁
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 [6]①高橋和巳
大阪市浪速区出身。本籍は観音寺市柞田町甲1257番地。祖父の時代に大阪に出た。昭和20年3月、大阪大空襲のため家屋・工場消失。家族と共に大野原町疎開。三豊中学に転校、戦後大阪に帰る。京都大学大学院博士課程修了。京大助教授のかたわら作家活動。「悲の器」で河出書房文藝賞。「捨子物語」「邪宗門」「わが心は石にあらず」「散華」など。昭和6年~昭和46年(享年41歳)
③エッセー「自己中心の悲劇」私は小説を発表する機会に恵まれてから、もっぱら現代日本の精神史、とりわけ戦争と敗戦体験が、私たちの精神に与えた、マイナスとプラス双方の価値を執拗に検証しようとしてきたが、どうも私の体験は、戦争が終わってから、予科練服を着なければならぬ羽目におちいった当時のこっけいさに一脈あい通ずるところがあるような気もする。
高橋和巳が読まれなくなって久しくなる。 今後若い世代に新たに読まれることもあれば、政治性を 失った「普遍的な作家」として位置づけられることにもなろう。
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[7]①島木健作
②札幌市出身。15歳で同人誌「櫟の実」発刊。東北大学法学部入学、仙台で労働組合活動。学業を捨て、日本農民組合香川県連合会木田支部有給書記となる(大正15年、23歳)。昭和3年、3・15事件で検挙。東讃の風物をリアルにとらえている「生活の探究」(昭和12年) 学業を捨てて農村生活に打ち込んでゆく過程が描かれ、知識階級の良心を守るものとして青年層を中心に多くの読者に迎えられベストセラーとなった。処女作は「癩」(現在は使用しない語)、その他発禁になった「再建」ほか「或る作家の手記」「赤蛙」など。明治36年~昭和20年(享年43歳)
③長編「生活の探求」駿介は胸が熱くなつた。彼等はただこれだけのことに深く大きな喜びを感じることが出来るのであらう。これこそは実に重要なことではないか。…為されたことは実にささやかな一つの事なのであつた。しかし、それは駿介に実に新しい自信と勇気とを与へたのである。
④左翼思想からの「転向文学」として近代文学史的地歩が位置づけられている。
 
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  「人生・起承転結」             季感       読書形態        文学的営為
 ①起=幼少青年期(1~25歳)   春期    多読(乱読)    創作的感性
 ②承=青壮年期(26~50歳)   夏期    精読(熟読)    評論的知性
 ③転=壮老年期(51~75歳)   秋期    味読(耽読)    哲学的悟性 
 ④結=大老年期(76~100歳)  冬期    再読(摘読)     宗教的霊性