いきなり中級フランス語

          ~フランス語の思い出~
 大学一年後期で初級フランス語を落とした。二年になって追い詰められ、再び初級の再挑戦をするのが当たり前だが、意地でも中級で合格しようと天邪鬼、必死になった。背水の陣を敷いて、頑張った。あの大学受験時代の猛勉以上だった。第二外国語、授業にはろくろく出ず、独学でしかも試験には合格しようとしたのだが、「優」でパスできた。半世紀前のことである。あの時の無謀とも言える我武者羅さは今はない。長崎先生、いい先生だったが、教室の雰囲気が性に合わなかった。
 仏文科志望も貧しい家庭環境、就職のことなど考えると第一希望は捨てて、国文科を選んだ。教育学部国語科には所属したいとは思わなかった。「文学」科への執着である。いわゆる「先生」「教師」にはなりたくない、目指したくなかった。フランス文学に対する異常執着があった。絶対に英語・英文学ではない。高校時代の英語の先生が嫌いだった、そんなつまらないこだわりもあった。国語の先生には何人か憧れる人がいた。これも自分の将来を決めるひょんなきっかけにもなった。
 半世紀以上、いまだ国語教師、文学講義を続けている自分。この度、日仏国際協力でハイク・ハイカイの紹介をする予定になっている。青天の霹靂、汚点を残さないよう積年の宿願を果たし、何か貢献できるものがあればいいと念じている。
 松山は俳句の子規・虚子(百年前)、我が郷土観音寺は俳諧(五百年前)。甲乙を付けられたくないし、付けようとも思わない。ただ五七五の短詩型に象徴される日本文化の源泉に迫りたい一心である。
 
    ☆私のフランスへの憧れは次の詩に触れてから
       
        旅上        萩原朔太郎『純情小曲集』
 
   ふらんすへ行きたしと思へども
   ふらんすはあまりに遠し
   せめては新しき背廣をきて
   きままなる旅にいでてみん。

   汽車が山道をゆくとき
   みづいろの窓によりかかりて
   われひとりうれしきことをおもはむ
   五月の朝のしののめ
   うら若草のもえいづる心まかせに