昭和43年、永田耕衣からいただいたハガキ二通

 
  朝顔や百たび訪はば母死なむ
 
 この句は実母を詠んだ代表的な句のひとつ。耕衣の母思いは有名で、1950年に90歳で亡くなるまでの20年間訪問のたびに自ら按摩を行った母を詠んだ句には他に「母死ねば今着給へる冬着欲し」などがある。
  母の死を詠んだ永田耕衣の句に惹かれて手紙を出したところ、返信のハガキをいただきました。44年後の今なお大切に保存しております。昭和42年、母の死に打ちひしがれていたとき、永田耕衣の句と励ましの言葉に30歳の私は、やっと立ち直ることができました。
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 神戸大震災に遭われて、長い間避難生活を余儀なくされたようです。
 自宅「田荷軒」が全壊。2階のトイレに閉じ込められたが奇跡的に救出される。半月後、寝屋川市特別養護老人ホームへ移り、車椅子が必要になる。