新柞田いろはかるた (注釈付)
[い]一輪車柞小児童は曲芸子…柞田小学校では一輪車に乗れる子が多い。
[ろ]老人を支える柞田青少年…未来を背負う若者に期待する心をこめて。
[は]ハハソハかクヌギか柞田名の言われ…柞(楢の類=ははそ、または櫟・橡)
[に]にっこりと柞田の人は皆笑顔…諍いのない、平和な地区でありたい願い。
[ほ]ぼけ封じ観音尊は延命寺…境内にある観音像はぼけ封じに効く謂われあり。
[へ]平和観音軍人墓地のご本尊…平和の祈り、墓碑並びの中央に建てられている。
[と]十の自治会柞田甲乙丙(平和)です …甲乙丙の頭番地、柞田地区は12あり。
[ち]ちりぢりに移転やむなく出在家衆…上出・中出・下出を合わせて出在家(でざいけ)
[り]りんりんと学校時報の鐘鳴らす…授業の初め・終わりに鳴らしていた時鐘が残る。
[ぬ]ぬかずくは豊作祈願地神さん…農村柞田村には各所に地神さんが今も残る。
[る]瑠璃色に輝く未来柞田っ子…ロマンチックに美化すると、瑠璃色に輝く子供たち。
[を]をのこやもむなしかるべき柞田っ子…名誉ある名を後世に残すべきやいなや。
[わ]若葉燃ゆ柞田の楠も住む人も …大木楠が多い柞田。楠若葉のように輝きたい。
[か]神様になった黒渕力石…かつて黒渕青年の力比べをした力石が祀られている。
[れ]礼節はまず挨拶と立看板 …公民館前「勇気出し、はっきりあいさつ誰にでも」
[そ]袖引かる夜もあり下野伊予街道…○○街があったことは今はもう誰も言わない。
[つ]連れ立ってお正月には五社参り …須賀・山田・境八幡・龍・日枝神社を巡る。
[ね]寝耳に水黒渕村人阿波越境…江戸時代柞田川氾濫で黒渕住民、阿波へ逃散。
[な]中出在家祠おかしなご神体…中出の国道筋、自治会館前の祠に○根風ご神体。
[ら]欄干や柞田川には橋六つ…柞田橋・下野橋・広野橋・黒渕橋・新黒渕橋・新開橋
[む]昔浜今埋められて干拓地 …戦後食糧不足の策として山田の遠浅砂浜を耕地に。
[う]うがみ神社蓑着て回れば雨が降る…龍王を祀る雨乞いの神社。松井神も合祀。
[ゐ] 井戸のゐは井上井下油井辺り…日焼けの油井、井上・井下の地名・姓氏関係。
[の]野都合はん落人たどり着きし塚…ノツゴは村境に多い呼称。落人伝説もあり。
[お]お松っあん玉田たぬきの言い伝え…玉田大楠辺に住む狸のいたずら話・伝説。
[く]柞田城此花城は見張城…公民館前に「柞田城址」、北岡善正寺近くに此花城。
[や]山のない山田の浜は干拓地…黒渕に山田神社あり、山田尻とは今の山田地区。
[ま]松並木枯れてしまった神事馬場 …馬場先往年の松並木は枯死してしまった。
[ふ]二つなき柞田庄園四至傍示…柞田庄園の四隅に標榜(その内、北東隅に残る)
[こ]古代には豊田郡の柞田郷 …三豊は三野郡・豊田郡の合併。豊田郡に柞田郷。
[て]天井に檀家の寄進絵善正寺…浄土真宗善正寺の格天井に花絵が奉納される。
[あ]あるはずのない柞田駅JR…古代の南海道山王辺りに柞田駅が置かれていた。
[さ]境八幡山田の鐘は正楽寺…今は途絶えた、暮れ六つ正楽寺の晩鐘が懐かしい。
[き]北岡は山なき柞田の避難ヒル…山とは言えない北岡の柞田小学校が避難場所。
[め]明治期は柞田三つの小学校…道生・成立・柞田の三校が統合されて柞田になる。
[み]水子地蔵墓碑も優しき松林寺…無住職の松林寺。先代住職供養塔は地蔵墓碑。
[し]精進料理山門お目見え金剛寺…かつて精進料理の禅寺に新山門が新築された。
[ゑ]絵に描いた柞田駅跡案内板…想像で描いた柞田駅。説明板は日枝神社に建つ。
[ひ]日枝神社天然記念の楠手入れ…神社の土台に根を張る大楠。やむなく剪定。
[せ]戦争の爪痕柞田飛行場…飛行場に使ったコンクリートの石垣、下出の大池堤。
[ん」運動会春秋二回昔より…春は小学校開校記念運動会、秋は柞田村民主体。