「旅人さん」と呼ばれたい

 『笈の小文の一節に
 神無月の 、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
  旅人と 我名よばれん 初しぐれ  芭蕉
    又山茶花を宿々にして     由之
 岩城の住、長太郎と云もの 此脇を付て其角亭におゐて関リせんともてなす。
 これは野ざらし紀行』の悲壮な決意を表明した一句
   野ざらしを心に風のしむ身かな
 この紀行文の題意(野晒)とは違って、心のゆとりが感じられる。自分を旅人と位置づけ客観視しようとしている。諸国回遊の行脚僧の姿、心躍りが脈打っているとも言えようか。

  香川県三豊市仁尾町門前に道明寺(通称、お薬師さん)境内に石碑がある。旅人と我が名呼ばれん初しぐれ この句碑は昭和末年建てられたものに過ぎないが、「風羅衣」に関する次の碑文は芭蕉資料として注目に値するかもしれない。
 
   【風羅衣碑文】  
   芭蕉翁之居士衣伊賀朱麓伝持之矣。
   有故伝加賀之半化房闌更受又伝之於僕、
   今茲寛政五年癸丑十月十二日当翁百年祭
   謹而感其徳恵以是焉思之白羽謀作感此碑
   左右房指馬欽自誌焉。
 
 寛政5年(1793年)建立されたもの。芭蕉の遺品で弟子から弟子に受け継がれていた衣が保存に耐えなくなり、元禄7年(1694年)芭蕉没後100年を記念して、墓地の一隅に埋納した。この時の関係者は指馬・白羽・卜仁などであったが、詳細は不明。指馬の墓碑はこの傍らにある。