三豊初の女性校長
三豊郡初の女性校長
荻田都志子
昭和二十六年四月、三豊郡で初めて女性校長が誕生した。一ノ谷小学校荻田都志子教諭が四十四歳で粟島小学校の校長として抜擢された。その後、昭和三十二年に神田小学校校長として転任、同三十四年三月に退職した教育者である。
退職後は家庭裁判所調停委員として社会に貢献、昭和四十七年四月七日。六十六歳で逝去、父母と併刻された墓碑が本大墓地に建てられている。
明治四十年、一ノ谷本大で荻田元廣の次女として生まれた。父元廣は香川県師範学校で国漢歴史を教えた学者先生だった。柳田国男・高橋健二等日本の一流文化人交友があったほどの人であった。また、私費を投じて図書館をつくり、図書館研究資料等を収集、その総数は数万冊に及んだ。また、母上山古墳の発掘をはじめ古墳の発掘調査にも貢献した。
このような教育熱心な家庭環境の中育てられ、三豊高等女学校を大正十三年三月(三女第十七回)卒業、明善女学校の高等師範科を卒業後、教職に就いた。昭和五年頃渡満、哈爾
里で教鞭をとった。
歌集『おや子うた』には、家族を思う優しさと凛として知性の秘められた歌句が載せられている。
☆父母のみ霊来まさむこの宵ぞ
ねもころに吾れ庭に水打つ
☆衣を更へて起居いよいよ亡母に似る
☆黄の帽の幼児連れだち帰り来ぬ