西讃方言物語

   
  あなたのお国ことばとはほど遠い『方言物語』です。

  【第一話】
 彼のあだ名は「ざいごのすねぐろ」と呼ばれました。
 さしあたって、彼を主人公として話を始めることにいたしましょうか。
 厄介なことですが、すべて注釈を付けていきますから、話はスムーズには進んでいかないことをご承知ください。「村の腕白者」という意味合いでしょうか。
 予讃線の汽車が通り始めた頃で、石炭を焚いて汽車が走っていました。彼の住む村里はその沿線にありましたから、汽車が通るのを見て、石炭をスコップで運ぶのをてがうのです。「てがう」とは「からかう」ことです。工夫はそのような沿線の餓鬼に「ごへだ」を投げるのです。石炭を焚いた殻です。こちらに投げてくるのですが、当っても痛くないのです。「ごへだ投げられたぜ」と言うのは、その近在の腕白坊主の自慢話にもなっていました。ただ、顔を見られてお咎めを受けたら大変ですから、見られないように麦畑なんかに隠れていたずらをしました。もちろん、投げる石が汽車に当ったら大変ですから、加減はして投げるのでした。  昭和の初めの頃の長閑な話です。

 【第二話】
 村境で腕白小僧たちが小石を投げ合ってけんかをするのも、一つの楽しみでした。「青岡の餓鬼す、何食うて肥えた、蛙(ぎゃいる)食うて肥えた」と囃すのです。近くには寄らず、適当な距離感をもって、小石を投げ合うのが習わしです。怪我をさせようとは思っていなくて、すぐ走って逃げる態勢にあります。相手に手ごわい者が現れると、すっ飛んで自分の村里に逃げ帰るのでした。その頃の履物はみな草履(じょうり)でした。

 【第三話】
 今では昔ながらの「村の小川」 を見かけられなくて、ふる里に帰っても寂しい限りです。ジョウレンでフナやメダカを取った思い出の川はコンクリートになりました。おまけに、蓋をされて道に広げられています。夕暮れはつくなんで(腰をかがめて)ヤンマをとらえたのも、遠い昔話になりました。石垣に入っているウナギをどんじょ(ドジョウ)で釣っていたのも懐かしいです。ずっと年上の清さんがその名人であったのですが、もうとっくに亡くなっていることでしょう。思い出の風景には方言という土地言葉がまつわっていて、いずれも滅んでいってしまったのでしょうか。

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