夾竹桃に想う

   昭和ヒトケタ夾竹桃は激流なり       富田敏子
季語は「夾竹桃(きょうちくとう)」で夏。花期の長さは百日紅さるすべり)に負けず劣らずで、秋になっても咲いている。とにかく頑健という印象が濃い。昔から毒性があると言われ(実際、強心作用のある物質を含むという)、一般家庭の庭などからは忌避されてきた。しかし、乾燥状態や排気ガスなどの公害物質にもめっぽう強いので、工場の周辺だとか高速道路脇などに多く植えられている。句の「昭和ヒトケタ」は、昭和の初年から九年までの生まれを指す。この世代はいちばん若い人でも、敗戦時には小学校(当時は「国民学校」の名称)の高学年であった。敗戦の意味もわかり、口惜しい思いもし、以後の混乱期の大変さを体感している。だから、この世代が夾竹桃の咲く季節になると必ず思い起こすのは、いまと変わらずピンクや白の花が咲き誇っていた往時のことどもだろう。まさに激動の時代、炎天下でのしたたる汗をこらえるようにして、数々の受苦をじっと耐え忍ぶしかなかった時代のあれこれのこと……。そういうことどもからすれば、群生する夾竹桃はただ単にそこに立って或る植物というよりも、むしろ激しく心をかき乱しに押し寄せてくる「激流」のようではないか。いや、激流そのものなのだ。この世代の人はみな、いまや七十代である。その七十代に、今年の夏もまた激流が押し寄せてきた。『ものくろうむ』(2003)所収。(清水哲男
 【余説】 そう言えば「夾竹桃の花咲けば」の小説があると言っていた小母さまは、昭和一桁であったように思う。旧制女学校卒業で、戦時中勤労奉仕などで勉強はあまりできなかったとも言っていた。先年亡くなったと伝え聞く。ただ情熱だけでなく、叶えられなかった哀愁を秘めた花群であると思いたい夾竹桃
         夾竹桃 元女学生なる失意の日    雅人 
     
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