回想の風景
剣持雅澄「回想の風景」
~戦中戦後の思い出を描く~
過去の思い出は文章で書くのが普通であるが、どうしても絵でないと表せないものもある。そうしたものを筆に任せて描いてみた。写生ではないし、記憶があいまいで、人に鑑賞してもらえる作品ではない。ただ自分の気持に正直に思い浮かぶまま鉛筆や絵筆を走らせた。幼少時代より輪郭を取るのが好きではなく、いきなりおおまかな色づけをして、後から形を整えるのが常だった。当然、デッサンを大切にする絵画の基本からはなはだしく逸脱するものである。今更、デッサンの勉強をするつもりもないし、思い出の風景を微細に描こうとは思わない。かろうじて形にして、うすぼんやりと心象風景を一枚の画面にしてみたということになる。美術作品としては、見て美しいものでなければなるまい。少なくとも目を背けたくなるような醜いものであってはならない。その心配もないではないが、あくまでも自分に忠実に思い出せる懐かしい光景を自然・人物にかかわらず描いてみた。風景画は好きで数限りなく描いたが、生物画・人物画はあまり描かなかったので、冴えないものになり下がっている。
一、農村の風景 戦中戦後(昭和二十年前後)の自分の体験や他者の生活様態、農村生活の様子。農機具の紹介なども。
~戦中戦後の思い出を描く~
過去の思い出は文章で書くのが普通であるが、どうしても絵でないと表せないものもある。そうしたものを筆に任せて描いてみた。写生ではないし、記憶があいまいで、人に鑑賞してもらえる作品ではない。ただ自分の気持に正直に思い浮かぶまま鉛筆や絵筆を走らせた。幼少時代より輪郭を取るのが好きではなく、いきなりおおまかな色づけをして、後から形を整えるのが常だった。当然、デッサンを大切にする絵画の基本からはなはだしく逸脱するものである。今更、デッサンの勉強をするつもりもないし、思い出の風景を微細に描こうとは思わない。かろうじて形にして、うすぼんやりと心象風景を一枚の画面にしてみたということになる。美術作品としては、見て美しいものでなければなるまい。少なくとも目を背けたくなるような醜いものであってはならない。その心配もないではないが、あくまでも自分に忠実に思い出せる懐かしい光景を自然・人物にかかわらず描いてみた。風景画は好きで数限りなく描いたが、生物画・人物画はあまり描かなかったので、冴えないものになり下がっている。
一、農村の風景 戦中戦後(昭和二十年前後)の自分の体験や他者の生活様態、農村生活の様子。農機具の紹介なども。
二、家族の風景 父は満蒙開拓青少年義勇軍の香川県送出野口中隊長として渡満(昭和十七年三月)、終戦後引き揚げ直前に奉天で戦病死(昭和二十一年三月十二日) 戦争未亡人の母は三人の子ども(私・姉二人)を育て上げ昭和四十二年九月二十六日病死。
三、自分史 昭和十二年八月二十八日生まれの自分の戦中戦後の生活の断片。ほとんど当時の写真はなく、記憶の中にのみ残る風景を思い描いたもの。一枚の絵だけで何が描かれているか説明不要で、よく分かる。