せせこましい話

            小作の片意地
 自分は小作人の倅に生まれたことを意識したことがあるだろうか。地主に搾取されて年貢をどれだけ払わされたことだろう。汗水たらして働いても、一反に一~二俵は持って行かれたのではなかろうか。いつからか、と言われても、ずっと昔からと言わざるをえない。我が家はずっと水飲み百姓の家系である。それに対して地主階級は代々世襲で旦那衆(だんなし)と言われて我々を見下す身分階級にあった。節季には米俵を積んだ車が押し寄せたという。白壁造りの倉には何十、何百俵の米俵が積まれた。
 終戦後は、農地解放でどの程度軽減されたが知らないが、地主へかなりの年貢を金銭で持っていくようになっていた。戦後七十年、今なお年貢は払い続けている。田畑を耕作せず、収入はなくても、「作らせてもらっている」礼に払わねばならないのである。そのような貸借関係を解消したくても、今なお高価な価格でないとうってもらえないのである。一反五百万も出して買おうとは思わない。一年五千円の年貢ですませるなら、その方がなんぼかましである。地主は売ろうとするが、小作は買わない。
封建制度の名残りがずっと続いている土地所有者と実質的耕作者の関係。その関係を断つ英断は誰もできない。共産主義社会になれば別である。そんなことはまず起こりようがない安定した保守政治が続いている。
 自分は一生小作の倅で、土地所有者の権利を確保することなく、僅かに余命を残している。倅などと呼ばれる齢でもなくなっている。それでも卑屈な根性かもしれないが、地主に対する抗い、反逆の気持が今なお根強く残っている。