戦後70年の課題(郷土史)



   ~戦後七十年(平成二十七年)の課題~


郷土史研究テーマ「観音寺海軍航空隊」の事実を知る。


一、取り上げる趣旨


ここに住む住民として、この地の過去にあった、重い事実をできるだけ正確に知っておく必要がある。


二、観音寺航空隊(飛行場)開隊の経緯


  広島の呉海軍隊本部からの命により、その指揮下に入っての戦争協力であった。


三、飛行場の位置・範囲


  柞田村甲番地(上出・中出・下出)、常磐村出作南、紀伊村木之郷、豊田村母神山等が該当した。


四、立退き移転


  柞田村一八〇戸、常磐村七〇戸、その他
 立退き移転当事者の苦労が十分に伝え遺されていない。  今のうちに我々は「聞き書き」をしておかねばならない。 


五、作業者・動員


  三豊郡を中心とし、中学校・女学校生徒が、学校で授業をせず、飛行場設営に当り、飛行機部品を組み立てる勤労動員が派遣された。更に外部からの集団が参加協力した事実。その幅広い、正確な記録は見当たらない。 


六、兵士・軍属、隊員の訓練


  始めは、普通の海軍航空隊員としてみなされていた。やがて、事の様子は分かってくる。沖縄等南太平洋に派遣され、十死零生の特攻隊員養成であった。


七、遺跡・遺物


 ●飛行場周囲の境界を示す西側に遺る「軍川」。


 ●滑走路西端のコンクリート破片による大池堤防。


 ●人の避難に利用した母神山周辺に遺る防空壕


 ●観音寺海軍航空隊飛行場に関する記録、記念碑。