寸暇を惜しんで

       寸暇を惜しんで
                                     
 この言葉を使って、僕の受験時代を表現してくれたのは親戚の小母さんだった。その時、やや違和感を覚えたものである。この言葉は、たとえば仕事に忙しいが、わずかな時間を見つけて読書するというのがふさわしいのだろう。たしかに、四六時中勉強に専念して、余年がなかったのだから、このように受け取られても仕方ないが、暇はなかった。全時間が張りつめていて、寸分の余暇はなかった。
 睡眠時間が数時間であったのは、無理をしていたかと思う。昼間はいつも勉強して、運動も遊びもなかった。男手の居ない我が家の仕事、田畑を耕し米麦を作って女たちを養う中心になった。小中学校から高校まで学校の勉強と家の仕事の両立に悪戦苦闘したものだ。学習と部活の両立…冗談ではない。学校から帰ったら家の仕事が待っている。父が戦死して、僕は母と姉二人の母子家庭で、戸主としての自覚が小さい時から備わっていた。家の手伝いなどではない。一家の大黒柱で働いた。勤労少年だった。そして勤勉な学徒であった。
 以来六、七十年が経つ。戦後の貧困、動乱期において必死になって働き、学校の勉強もした。大学では文学を学びたかった。将来は高校の国語の教師になるつもりで、ほどほどでよく、超一流の大学を目指す必要はなかった。地方の国立であれば十分だった。安易に資格さえ手にすればよかった。その素志は貫徹、予定どおりの人生行路を歩んで週末に近いが、今も文学一筋に余生を楽しんでいる。田舎作家を気取ってみても、所詮元教師にすぎない。ただ、今は在職中怠けた罪滅ぼしに、教養講座に全精力を費やしている。
 ただ、西行・宗鑑・芭蕉を専門分野として、放浪遍歴の文学に入れ込み、万葉学者鹿持雅澄にあやかって、剣持雅澄を筆名とし、雅舟を俳号として讃州四国の片田舎に生き永らえている。