幻住庵の記

     幻住庵の記    松尾芭蕉

 石山の奥、岩間のうしろに山有り、国分山と云。そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし。麓に細き流れを渡りて、翠微に登る事三曲二百歩にして、八幡宮たたせたまふ。神体は弥陀の尊像とかや。唯一の家には、甚忌むなる事を、両部光を和らげ、利益の塵を同じうしたまふも又貴し。日ごろは人の詣ざりければ、いとど神さび、もの静かなるかたはらに、住み捨てし草の戸有。蓬・根笹軒をかこみ、屋根もり壁落ちて、狐狸ふしどを得たり。幻住庵といふ。あるじの僧なにがしは、勇士菅沼氏曲水子の叔父になんはべりしを、今は八年ばかり昔に成りて、まさに幻住老人の名をのみ残せり。
 予又市中を去ること十年計りにして、五十年やや近き身は、蓑虫の蓑を失ひ、蝸牛家を離れて、奥羽象潟の暑き日に面をこがし、高砂子歩み苦しき北海の荒磯にきびすを破りて、今歳湖水の波にただよふ。鳰の浮巣の流れとどまるべき蘆の一本のかげたのもしく、軒端ふきあらため、垣根ゆひそへなどして、卯月の初めいとかりそめに入りし山の、やがて出でじとさへ思ひそみぬ。
 さすがに、春の名残も遠からず、つつじ咲き残り、山藤松にかかりて、時鳥しばしば過ぐるほど、宿かし鳥のたよりさへあるを、啄木のつつくともいとはじなど、そぞろに興じて、魂呉・楚東南に走り、身は瀟湘・洞庭に立つ。山は未申にそばだち、人家よきほどに隔たり、南薫峰よりおろし、北風海を侵して涼し。比叡の山、比良の高根より、辛崎の松は霞をこめて、城有、橋有、釣たるる舟有、笠とりにかよふ木樵の声、麓の小田に早苗とる歌、蛍飛びかふ夕闇の空に水鶏のたたく音、美景、物として足らずといふことなし。中にも三上山は士峰の俤にかよひて、武蔵野の古き住みかも思ひ出でられ、田上山に古人をかぞふ。ささほが岳・千丈が峰・袴腰といふ山あり。黒津の里はいと黒う茂りて、網代守るにぞと詠みけん『万葉集』の姿なりけり。なほ眺望くまなからむと、後の峰に這ひのぼり、松の棚作り、藁の円座を敷きて、猿の腰掛けと名付。かの海棠に巣をいとなび、主簿峰に庵を結べる王翁・徐栓が徒にはあらず。ただ睡癖山民と成って、孱顔に足を投げ出し、空山に虱をひねって座す。
  たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みて自ら炊ぐ。とくとくの雫を侘びて、一炉の備へいとかろし。はた、昔住みけん人の、ことに心高く住みなしはべりて、たくみ置ける物ずきもなし。持仏一間を隔てて、夜の物おさむべき処などいささかしつらへり。
 さるを、筑紫高良山の僧正は、加茂の甲斐何がしが厳子にて、このたび洛にのぼりいまそかりけるを、ある人をして額を乞ふ。いとやすやすと筆を染めて、幻住庵の三字を送らるる。やがて草庵の記念となしぬ。すべて、山居といひ旅寝といひ、さる器、たくはふべくもなし。木曽の檜笠、越の菅蓑ばかり、枕の上の柱にかけたり。昼はまれまれ訪ふ人々に心を動かし、或は宮守の翁、里のおのこども入り来たりて、猪の稲くひあらし、兎の豆畑に通ふなど、わが聞き知らぬ農談、ひすでに山の端にかかれば、夜座静かに、月を待ちては影を伴ひ、燈を取りては罔両(影のもう一つ外側にある薄い影のこと)に是非をこらす。
 かく言へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡を隠さんとにはあらず。やや病身、人に倦んで、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移り来し拙き身の科を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛離祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。楽天五臓の神を破り、老杜は痩せたり。賢愚文質の等しからざるも、いづれか幻の栖ならずやと、おもひ捨ててふしぬ。      まづ頼む椎の木もあり夏木立  芭蕉