一葉舟

   一 葉 舟                     
    序 詩
天の河原をながむれば/星の力はおとろへて/遠きむかしのゆめのあと/こゝにちとせをすぎにけり/そらの泉をよのひとの/汲むにまかせてわきいでし/天の河原はかれはてゝ/水はいづこにうせつらむ/ひゞきをあげよ織姫よ/みどりの空はかはらねど/ほしのやどりの今ははた/いづこに梭の音をきかむ/あゝひこぼしも織姫も/今はむなしく老い朽ちて/夏のゆふべをかたるべき/みそらに若き星もなし                                              (島崎藤村詩集『一葉舟』収載詩「銀河」)
 美しくも哀しき日々は流れ流れて、今は老残の独り身になってしまいました。離れて生きていても、心は通い合う二人であったはずですが、半世紀という星霜が過ぎ去ってみると、身につまされた現のことどもが遥かに霞む神話のことだったような気がしてきますね。
 どうしようもない宿命に抗いながら、どうにかしようとして足掻いていたあの頃。純粋だったのですね。世の人の心ない噂、誹謗、中傷にも耐えて生きられる一途さがありました。あなたにもわたしにも、負の遺産があり、それは背負って生きねばならない業というものでした。身から出た錆とは言い逃れられない宿業なのでした。他に転嫁したくない責務でありました。黙って耐えることでした。身に覚えのないこととして知らん顔ができない二人でした。
 慰められました。励まされました。わたしたちには優しい言葉しかありませんでした。美しい誤解であったかもしれませんが、決して批判も非難もしない、包み込む心で接していましたね。あなたを傷つけたことはあったかもしれませんが、私はあなたに傷つけられることはありませんでした。あなたはいい人だ、あなたは私が守らねばならないという使命感と言えば大袈裟ですが、それに類するひたひたと寄せる波のような心で占められていました。
 とはいえ、無情にも時は流れ、生き物の定め、老化を余儀なくされています。人様だけでなく、自分にもそれは例外なく訪れる定めなのですね。あの若き日の輝きのまま浮かぶあなたも、時の無情に曝されているのでありましょうか。お会いしたいような、しない方がいいような、そんな揺れ動くままに時は一日一日と過ぎております。