剣持日録(平成元年)

     雅澄日記抄
   平成元年(一九八九)
 一月七日(土)晴
今朝六時三十三分、天皇陛下崩御。八七歳という歳には不足ないが、何かと苦労が多かったろう。十時~十二時出勤。調査書二〇〇枚に印鑑を押す。
帰宅して二時過ぎ、次の元号「平成」が知らされる。明日からである。あまり冴えないが、我慢できる。歴史的決定の日。
 三月七日(水)曇
卒業式。観一で初めてわが受持クラス三の五の卒業生を送り出す。教室で大きな花束くれる。一緒に写真撮ったり、この歳をして初めて知る生徒の心。これまで報われることが少なかっただけに嬉しいはんなりで団の宴。まだそれぞれになっていないので、今ひとつ冴えない。
 四月九日(日)晴
西行八百年忌。今日の日のために出していた自著『西行伝説の風景』を朝方仏前に供える。桜散る弘川寺のたたずまいに陶酔しながら十一時から始まる法要を静かに待つ。参列者は思ったより少ない。待ち人も来たらず、これもまたよし。十二時までずっとビデオを回す。
 八月二十八日(月)晴
五二歳誕生日。トルストイゲーテも今日。今、自分は進路指導に明け暮れているが、本来の文学一途の生き方に外れている。これも身過ぎ世過ぎとして致し方ない。いや、そんな気持ちでは生徒たちに申しわけない。身を粉にしても報ずべきは、人間愛溢れる文学教育である。
 九月十日(土)晴
前川忠夫句碑除幕式に行く。「緑蔭静臥吾れ六尺の虫となり」と自己凝視して俳味豊かに詠んだ句。高瀬朝日山の頂上近くに高々と石柱状に建つ。文子未亡人、二人の娘さん。三歳のかわいい孫娘が除幕する。前川さんを敬慕する数百人が集まる。秋暑し故知事の句碑の丈高し(雅舟)
 十月十九日(木)曇一時雨
朝日新聞香川の文化欄「同人誌」に「随筆無帽」九月号「待つ心は歌のテーマになりやすい。そのせつなさ・甘美さは古今を通じて同じものだろう」(剣持雅澄「待つ」より)と紹介された。毎月動詞を題にして書いているが、簡単でもいい抜き出してくれるだけでうれしい。
 十二月三十一日(日)晴
日記をつけながら、生きることのむなしさを感じる。十数年来日記を欠かさず書いているが、それがどれほどの意味をもつか、はなはだ疑わしい。文学者の日記、例えば「一葉の日記」「断腸亭日乗」のような評価を受けるならば、価値がある。自分のようなメモ書きでは何にもなるまい。