剣持日録(平成四年)

    雅澄日記抄
  平成四年(一九九二)
 一月二十日(月)晴
「寒さに震える者ほど、太陽を暖かく感じる」とはホイットマンの言葉。苦汁を飲めばいっそう甘さも強く感じ、今日あることの有り難さを覚えるもの。一生過ぎやすく、今日の日は永遠に消えていく。どんなに努力したとて、過ぎればむなしい。されど無為にはいられない。
 二月十六日(日)晴
丸亀まで、駅伝を世話するという娘を撮りに行く。はからずも源平駅伝、目のあたりにする。走り終わった女子ランナーの世話をしている。風邪を押しても約束だから行ってあげる責任感の強い娘だ。留守中、鶯宿梅の鉢植えを典子親子が持って来てくれている。我が命果ては知らねど鶯宿梅
 四月十九日(日)曇後晴
千絵の運転で親子三人八十八ヵ所めぐり、逆打ち始める。八八番大窪寺から、長尾寺志度寺八栗寺屋島寺一宮寺白峯寺根来寺をめぐる。マイカーはさすがに便利。帰宅八時半。すぐに進路指導の追跡調査にとりかかる。公務を夜なべでするのは当たり前。
 七月六日(月)晴
わが万葉植物園に名札付ける。今日四個。桑…たらちねの母のその業の桑すらに願へば衣に着るとふものを。栗…三つ栗の中に向かへる曝井の絶えず通はむそこに妻もが。山吹…蛙鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花。黄楊…君なくはなぞ身装はむくしげなる黄楊…
 八月十四日(金)曇
いつも夏休みに書いている「小説無帽」二五号原稿、九〇枚となって一応完成。思わぬ結論が出た。これでこそ書くのは面白い。尼僧にさせた冴子(モデルは智江)。これで一応「小豆島拾遺」のケリはついた。題名「小豆島遺文」にしようか、「小豆島挽歌」「小豆島心中」とも考えてみる。
 十一月二十五日(水)晴
朝二時までかかり、「随筆無帽」三五〇号「酔う」を書きあげる。諺の使い過ぎか。現実のリアルなとっておきの話にしたいが、経験不足。学校では単語テスト三の五、三の八採点。帰宅して線引き作業数枚作る。これで少し安心。本読み、書きものに集中できるようになる。
 十二月二十三日(水)風強し
歌集作りに一歩進む。「遠き父母」(三〇首)、三五一号に載せる予定。このようにして毎月三〇首ずつ連載して、それをまとめれば一冊の歌集ができるかもしれない。これまで折に触れて飾らない短歌はかなり作ってきた。今後少し念入りに作って一冊の小歌集くらいは出したいと思う。