剣持日録抄(平成20年)

    雅澄日記(平成二十年)

   一月九日(水)晴
中西進先生の出前授業「みらい塾」。桑山小学校で。その前に北野で昼食を共にする光栄。もらっていた賀状見せると感激される。一夜庵案内。句碑「夜着は讃岐の言葉、霜は白衣だと。授業はゆっくりと、分かりやすくソフトムードで。自分はお相伴にすぎないのでおとなしく。
 五月十八日(日)晴
みとよ万葉の会。巻十「夏の歌」講読の後「早苗塚」の説明。十一時に切り上げて琴弾八幡宮「早苗会」に移る。早苗取る儀式、片山幸さんと。衣裳着けて。終わって抹茶立てる。草餅二個ずつ十八人に配る。終わって遍路道石段登る。ブログに今日のこと載せると、二人からコメントあり。
 六月十六日(木)曇
高瀬万葉は「万葉人の農耕生活」の歌。歌自身は大したことないが、テーマをしぼると面白くなる。頭の体操「秌」「枩」等異体字がヒット。すごく興味をもつ。変化があって面白いのだろう。詫間さんより「爺神山と大師堂」の資料もらう。「法性の…」歌意問われるが、後日郵送を約す。
 七月二十二日(火)晴
松崎キミ代さんに色紙「カンナ燃ゆ駅に松崎帰り来し」と再び描いた。昭和三十八年六月高瀬駅に卓球世界大会チャンピオンになって凱旋した時構内で迎えてあげた時の句。今は年取ってしまっているが、心優しく下ずりな人と受け取っている。八月十日の高瀬高校同窓会総会に渡そうか。
 九月十二日(金)晴
伊能忠敬測量二百年記念ウォーク。花稲漁港集合。百二十名以上の人々が参加してくれる。NHK大西敦子記者インタビュー。三豊ケーブルも来て脚光を浴びる。山田児童公園で接待。片山幸さんほか大勢の世話になる。色紙一枚ずつ土産に進呈。皆さん喜んで帰られる。 
 十一月十七日(月)晴
指導者細川先生は病気で来られない関東万葉旅行二日目。伊香保神社、伊香保温泉石段の湯を経て、タクシーで万葉歌碑三基めぐり。徳富蘆花記念館見学す。「不如帰」の素材を得た所。蘆花は気に入って十回も訪れたとか。榛名神社、榛名湖もよかった。明日高崎市を経て帰路に。
 十二月三十一日(水)曇
忙しくて日記毎日欠かさず書くのも大変だ。十年一冊日記帳も八年終わった。ブログで「誕生日の花と花言葉」を毎日書き入れることはでき、全国に何人かのブログフレンドを得た。題材は多彩と言うより雑多と言えようか。除夜の鐘、善正寺で。色紙、恒誠君に献呈、喜ばれる。