剣持日録抄(平成17年)

 
   雅澄日記(平成十七年)
 一月十日(月)晴
成人の日で会場の所へ日の丸掲げる東班長の任を果す。森安華石(本名、芳寿)さん、百一歳の告別式に三豊メモリアルホールへ佳文の車で行く。数年前、たくま特養に見舞いに行った時「百歳までは生きられる」と言っていた。奥さんの実家恵子さんの祖父保さんも参列していた。
 四月四日(月)晴
『鍬の戦士』一一冊コピー版製本できてうれしい。佳文が今やってくれている『戦後還暦』及び既刊『父の帰還』三点セットで八月、戦後六十年の記念としよう。戦没者遺書もこれから。「めぐり逢えた愛の奇蹟」氷川きよしがテレビで今唄っている。作詞もしたいネ。
 五月十二日(木)晴
四国教育長協議会(二八市+α)三五名の前で講演。
「宗鑑の遺墨について」〈貸し夜着〉の本歌について力説。松山市から「意外」と言われる。グランドホテルパールの間で昼休み三〇分。御前会議のごときいかめしい雰囲気で。石原教育長が依頼に来られて断れなかった次第。
 八月十七日(水)晴
午後森広幸さん初めて我が家訪問。柞田飛行場井戸・壕ほか大野原雲辺寺山射撃訓練トーチカ二つ見学案内。今月の万葉講座は親子愛がテーマ。資料少なく地味なので、明日小冊子「戦後六十年」二五冊作ろうかと思う。小野賢治先生より残暑見舞い来信。
 十月二日(晴)
今日も暑い。「中河与一の唯美主義」三枚半完成させる。それより今日の四国新聞で長々と五〇三号「遠浅の海浜」紹介してくれていてうれしい。それを誰一人喜んでくれないのは淋しい。それにしても、彼女は俺に挨拶もせず焼身自殺した。断末魔の苦しみはどうだったろう。
 十一月五日(土)晴
今日は小夏とか、暑い。まなとぴあ坂出市民ふれあい会館二階にて「中河与一万葉集」と題して講演。盛りだくさんの内容で、語り尽くせぬまま、無事終わる。観音寺から受講生七、八人来てくれていなかったら淋しかったろうに。やっと終わってほっとする。依頼の責は果たせたか。
 十二月二十日(火)晴
年賀状二四〇枚書いたが、まだ六〇枚足りない。明日どこかで買って来よう。『漢字百話』全部読み切れないが、二、三〇〇枚の書評なら書ける。二、三時間は要る。白川静さんは漢文学者、偉い人だと思う。三冊の字書を退職後まもなく出版する荒業。昨年文化勲章受章者。