剣持日録抄(平成16年)

雅澄日記(平成16年)
2月20日(金)晴
昼過ぎ恵子ちゃんより電話あり、合田先生のお墓参りに来たが、見つけられないとケイタイで言ってくる。豊浜墓地公園へ馳せ参じる。弟浩史君と三人、万城屋でうどん食べる。明日の大野原古典講座『古事記』は初めて。やりにくさはあるが、なんとかなるだろう。千絵、出産予定日。
2月22日(月)風後晴
2時観一正門で恵子さんと会い、歩いて琴弾公園へ、松原でビデオ撮り、松の説明ナレーション。なかなかいい作品ができたと思う。この子は肩がこらない。人の性格は一生変わらない。いい性格の子はいつまでもいい性格である。おでんを作って、佳文と二人で夕食。
4月12日(月)晴
「松原日記」2月27日より毎日欠かさず書いている。日記は二重に付けていることになる。それによれば、植田町の植田天満宮の道真お手植えの松を取材に行って撮影。帰宅して根っこの色紙化。異色の絵ということになる。松の講演、展覧会、早くしたいと思う。いつでもできる態勢にある。
6月12日(土)
渡月の父親参観の代理として高松へ行ってやる。狭い園庭で何やらしている。孫たちそろってこんな日のこんな時は幸せを感じる。はてさて、夕方7時から豊田の花の輪コンサート25周年に我が歌曲「渚」合唱してくれて感激。高井留美子さんのお手盛り、ああよかった!
8月28日(土)晴
遺児の同窓会旅行、二日目。5時起床。金毘羅本宮、そして奥社まで六人で参拝。7時35分過ぎ、とら丸旅館に帰り、朝食。9時15分発ジャンボタクシーで善通寺に参拝、高速で高松へ、栗林公園見学、高松駅へ、皆と別れる。我が家に帰宅三時前。ほっとくつろぐ。思い残すことはない。六十七歳誕生日。
11月4日(木)晴
俳聖宗鑑翁四百五十年祭記念碑除幕式に参列す。写真撮るのみ。VTR撮ればよかったか、とも思うが、後の祭り。歌作り。「鎮魂譜」9首まで。戦争遺児意識の強烈に自分を占めていることに気づく。「無帽」494号は「伊吹島」送付予定。
12月8日(水)晴
観中へ総合学習講師。一夜庵学習。8時過ぎに行くと、すでに開けてくれており、観中生20名迎えて午前中あしらう。山頂の宗鑑墓参も。夕方6時にまきやで三木君と夕食。中野真実父親と同席。三木奥様に車で送ってもらう。いい日だった。