中学生の郷土文学「俳跡一夜庵」学習
2/5 観音寺中学の総合学習参考資料
郷土観音寺の文学遺跡「一夜庵」 (観音寺市指定史跡)
宗鑑=寛正6年(1465)~天文22年(1553)
「一夜庵」とは山崎宗鑑が晩年を過ごした書院造りの草庵。数回改修はされたが、日本最古の俳跡とされている。
宗鑑が享禄元年(1528年)創建、天文22年(1553年)12月2日、この庵で没するまで
26年間過ごした旧宅。六畳・四畳半の和室。
宗鑑は滋賀県草津市出身。室町幕府第九代将軍足利義尚に仕えていたが、陣没、世をはかなみ、出家。一時京阪の山崎に住んでいたが、興昌寺の梅谷和尚を頼って讃岐に渡り住みつき、俳諧連歌を唱導した。『新撰犬菟玖波集』がある。
上は立ち中は日暮し下は夜まで一夜泊まりは下々の下の客
このような掲示を出して、客の長居を好まなかったと言われる。すでに山崎においても 「上客立帰 中客一日 下客泊懸」と掲げていたと言われる。飾らない、率直なもの言いが飄逸で諧謔味をにじませている。 辞世の歌も超俗的で親しみがもてる。
宗鑑はどちへと人の問ふならばちと[よう]ありてあの世へと言へ
*[よう]は「廱=できもの 皮膚癌?」と「用(事)」の掛詞
宗鑑筆と伝えられる遺墨の書は、半世紀を経て今も数多く保存珍重されている。
宗鑑の書を持っていると、火災に遭わないと言い伝えられる。
いなれぬや雪の下客の一夜庵 上島鬼貫
花にあかでたとへばいつまでも一夜庵 西山宗因
きはりぎりすさむしろゆるせ一夜庵 二六庵竹阿
宗鑑の墓に花なき涼しさよ 高浜虚子
此庵に短過ぎたる我日かな 巌谷小波
松の奥には障子の白きに松 荻原井泉水
浜から帰りても松の影ふむ砂の白きに 河東碧梧桐
花にあかでたとへばいつまでも一夜庵 西山宗因
きはりぎりすさむしろゆるせ一夜庵 二六庵竹阿
宗鑑の墓に花なき涼しさよ 高浜虚子
此庵に短過ぎたる我日かな 巌谷小波
松の奥には障子の白きに松 荻原井泉水
浜から帰りても松の影ふむ砂の白きに 河東碧梧桐
皆さんも俳句を作ってみてください。
早春・余寒・春を待つ…季語を一つ入れて三句作ってください。
そのうち一句を短冊に筆ペンで書いて、学校に持ち帰り、