奥の細道「塩竈」「松島」を忘れず

       
 
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      塩  竈
 早朝、塩竈の明神に詣づ。国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩椽きらびやかに、石の階九仭に重なり、朝日朱の玉垣を輝かす。かかる道の果て、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそわが国の風俗なれと、いと貴けれ。神前に古き宝燈あり。鉄の扉の面に「文治三年和泉三郎寄進」とあり。五百年来の俤、今目の前に浮かびて、そぞろに珍し。渠は勇義忠孝の士なり。佳名今に至りて慕はずといふ事なし。誠に「人能く道を勤め、義を守るべし、名もまた是に従ふ」といへり。日既に午に近し。船を借りて松島に渡る。その間二里余、雄島の磯に着く。
 
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       松  島
 そもそも、ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖を恥ぢず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮を湛ふ。島々の数を尽くして、欹つものは天を指さし、伏すものは波に匍匐ふ。あるは二重に重なり三重に畳みて、左に分かれ右に連なる。負へるあり、抱けるあり。児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹きたわめて、屈曲おのづから矯めたるがごとし。その気色ヨウ然として、美人の顔を粧ふ。ちはやぶる神の昔、大山祇のなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆を揮ひ、詞を尽くさむ。