桜桃忌にちなんで林聖子さんの証言

 桜桃忌の今朝、深夜便での林聖子さんのインタビューを一部紹介します。
 昭和二十三年六月十五日に行方不明になった太宰さん。前に漏らしていた言葉から、自殺ということが思い浮かんだ。見当をつけていた玉川上水の土手に行ってみると、道端に黄色いお皿や小さなハサミ、ガラスの小皿などが散らばっていた。(このお皿は山崎富栄さんの家で見たものだとはっきりわかった)。そこから土手の土が、下の方まで黒くずりっと削られていた。これはただ事ではないと思った。
 「聖子さん、ぼくが死ぬかもしれないと言っていたらしいが、子どもを遺して死ねないよ」とも言われて死ぬことはないと信じていたのにとも言われる。
 太宰の作品「メリークリスマス」は自分たち母子のことをそのまま書いてくれている。それが載っている雑誌をぽんと置いて、その時はじめて小説家はあったことをそのまま書くのだなあと知ったという
 小説で娘の「シヅエ子ちゃん」として出てくるのが、当時18歳だった林聖子さん。実父シヅエの名を「男みたいな名だね」と言っていたことがあるが、それで小説ではシヅエ子にしてくれたのだと思うという。実母富子さんは終戦から3年後に亡くなった。やがて、聖子さんは新宿に酒場「風紋」を開く。
 小説は、主人公の笠井が東京郊外の本屋で久しぶりに娘と出会うところで始まる。
 この小説で、娘の母親は「思ひ出のひと」の一人で、成長した娘の姿はまぶしく映った。娘は初め母は健在だと言うが、笠井を案内して家の前まで来た時に突然泣き出し、【空襲】で亡くなったと告げる。二人は、母を偲んでしばらく店で飲む。居合わせた酔客が、通りを行く【米兵】に向かって出し抜けに叫ぶ場面で小説は終わる。「ハロー、メリイ、クリスマアス」これがこの短編の題名。戦争の翳をこの小説に読み取ることができる。