柞田豆知識
観音寺市柞田町の地名「柞田(くにた)」に関する事項
【柞田の由来】
「柞」の字はクヌギ、コナラ、イスノキなどを示すが定説はない。『柞田村誌』によると、柞の字源は「ははそ」「いす」とあり、「ははそ」はコナラの別名で、古くは近似種のクヌギを含めて呼んでいたらしい。「いす」はイスノキの別名。昔、この地にクヌギ類の木が多く生えていたと推測される。
【柞田川】
二級河川柞田川水系の本流で、指定延長16km。雲辺寺山(920m)から発し、大野原台地の裾を流れ、柞田で燧灘に注ぐ。(財田から発する財田川と違い、河口が柞田である) 大野原五郷には豊稔池、五郷ダムがある。古記録の苅田河は柞田川のことである。
【柞田荘】
讃岐国豊田(苅田)郡(香川県観音寺市)の荘園。建長年中(1249~56)に後嵯峨上皇より日吉社に寄進されたが,1256年の注進状には,荘の四至として東紀伊郷堺,南は姫江荘堺,西は大海,北は坂本郷堺を記し,さらに西の牓示(ぼうじ)として現観音寺市沖約10kmの伊吹島を挙げている。
讃岐国豊田(苅田)郡(香川県観音寺市)の荘園。建長年中(1249~56)に後嵯峨上皇より日吉社に寄進されたが,1256年の注進状には,荘の四至として東紀伊郷堺,南は姫江荘堺,西は大海,北は坂本郷堺を記し,さらに西の牓示(ぼうじ)として現観音寺市沖約10kmの伊吹島を挙げている。
【柞田駅】
古代南海道の四国讃岐には、東から「引田」「松本」「三渓」「河内」「甕井」「柞田」の計6駅が置かれた。柞田駅は西端で現在の観音寺市柞田町山王にあったと思われる。その確証はないが、日枝神社に説明版を設置している。
【柞田五社】
【龗神社】 柞田五社の一つ。
由緒(社殿改築記念碑)
1651年(慶安4)大旱で大雷雨の際、西海に光るものがあった。
油井の人、是右衛門は「松井の神が水を天下にわかつため八大龍王を迎えた。汝 海に行きて龍を迎えよ」と松井神の神告を受け海中より御神体を得て山田尻村の松井林中に奉齋し八大龍王と称したと伝え1917年(大正6)に現地に遷座し、松井神社と共に奉齋した。 雨気の神として崇敬されている。昭和62年5月建立。
1651年(慶安4)大旱で大雷雨の際、西海に光るものがあった。
油井の人、是右衛門は「松井の神が水を天下にわかつため八大龍王を迎えた。汝 海に行きて龍を迎えよ」と松井神の神告を受け海中より御神体を得て山田尻村の松井林中に奉齋し八大龍王と称したと伝え1917年(大正6)に現地に遷座し、松井神社と共に奉齋した。 雨気の神として崇敬されている。昭和62年5月建立。
『香川県神社誌』に寄れば 「柞田村郷社山田神社境外末社」となっている。
慶安4年油井の人是右衛門なる者松井神の神託を蒙りて、山田尻村の村はづれの松林中に奉齋せりと殿ふ。
「往古柞田郷に松井と稱する出水あり、其の邊に小祠ありて松井神社と奉稱せり。
『西讃府誌』に「松井御前祠 油井にあり 祭神速秋津姫命 按三代寶録に元慶元年4月7日、讃岐国松井神従五位下とあるは 或は當社ならんか」云々と載せたり。
慶安4年油井の人是右衛門なる者松井神の神託を蒙りて、山田尻村の村はづれの松林中に奉齋せりと殿ふ。
「往古柞田郷に松井と稱する出水あり、其の邊に小祠ありて松井神社と奉稱せり。
『西讃府誌』に「松井御前祠 油井にあり 祭神速秋津姫命 按三代寶録に元慶元年4月7日、讃岐国松井神従五位下とあるは 或は當社ならんか」云々と載せたり。