満蒙開拓青少年義勇軍《父への挽歌》

 満蒙開拓青少年義勇軍は、戦時中「国策」によって、ハイティーンの青少年が中国東北地区に派遣された義勇隊だった。3ヵ月の内地訓練、3年間の現地(満洲)訓練を終えて、満洲のどこかに入殖するものだった。私の父の場合、香川県で220名の義勇隊員を引率したものだった。昭和20年3月は、事態が急変して、北方の守り、即ちソ連が攻め込んでくるのが目に見えていて、国境黒竜江(アムール河)に近い北安省克山になった。予想通り8月上旬に怒涛の如くソ連軍がなだれ込んで、開拓団が根こそぎ捕虜になったことは、周知のことである。多くの犠牲者を出し、義勇軍中隊長(開拓団長)であった父は戦後復員してくるはなかった。ここで多くを語るつもりはない。
 拙著『鍬の戦士』の一部、その他の資料を引用して、ここにその記録を残しておきたい。戦後70年も残すところ後1ヵ月となった今日のその遺児(78歳)の私のせめてもの父への《挽歌》としたい。
イメージ 1
イメージ 2


イメージ 3
イメージ 4
イメージ 5
イメージ 6
イメージ 7
イメージ 8