三豊郡内の戦争遺跡

   ~三豊郡内の飛行場二つ~
 ①【香川県三豊郡詫間町】 1943年6月1日、香川県三豊郡詫間詫間海軍航空隊が開隊しました 12機の水上偵察機と48機の練習飛行艇を備えた飛行艇搭乗員の養成施設でした(海岸に滑水スリップが、香川高等専門学校詫間キャンパスに当時の建物の一部が現存)。

 ②【香川県三豊郡柞田村】 帝国海軍は、香川県三豊郡柞田村の農地を収用し、1943年末より飛行場の造成工事を始め、地元住民の勤労奉仕活動によって4ヶ月で完工した。以後、作戦に適さず放置されていた。

③【香川県三豊郡豊浜町姫浜】 「陸軍船舶幹部候補生隊」があった。
秘称「暁」部隊は香川県西部の豊浜町一ノ宮公園隣接の富士紡績を兵舎として開設された。昭和19年4月29日より終戦まで約5800名の将兵がここで訓練された。隊員の年齢は22~23歳で、ほとんどが学徒出陣で大学または高等専門学校在学中の学生だった。
 戦局の頽勢により下士官将校養成の幹部候補生隊とは言いながら、次第に特攻作戦に組み込まれていくことになる。250キロ爆雷を積んだベニヤ板張りのモーターボートで敵艦に突っ込む船舶特攻の一翼をになうことになる。昭和20年1月9日の比島リンガエンにおける第12戦隊の出撃を初め多くの海戦で犠牲者を出した。豊浜の留魂像に名籍(みょうしゃく)されているだけで250名である。
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 ④【香川県三豊郡大野原村五郷】
 雲辺寺山の北西山麓に広がる約400ヘクタールの丘陵地帯は雲辺寺ヶ原と呼ばれ、今からおよそ120万年前(新生代洪積世の時代)、地殻の大変動によって山の中腹から削り剥がれた岩礫が堆積してできた洪積世台地。 明治時代には、日本陸軍善通寺駐屯の第十一師団の山砲射撃場が設置され、谷間に砲声がこだました。現在広場に遺されているのは、昭和初期に建設された監的所で、砲弾の着弾地点を観測していた。平和を取り戻した現在は、再び静寂と緑豊かな台地として生まれ変わった。
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